20210505

2021年のGW。

ずっと天気が悪かった。毎日曇っていて、強烈な雨が降るわけでもなく、多少パラついていて意気地ない天候だった。

以下のことをしていた。

  • pryのソースコードリーディング

  • Reactの復習をしていた

  • 読書

    • Rubyによるデザインパターン
    • 君がラジオを好きだから
  • 岡本太郎美術館に行った

  • 藤子・F・不二雄ミュージアムに行った

  • NetflixとかYouTubeを見ていた(映像研)

  • ラジオを聞いてた

  • 生田緑地で写真を撮った

  • サウナ探訪

    • 東名厚木健康センター
  • 実家に帰らなかった

    • 節約になった
    • 勉強がはかどった

勉強3、怠惰7という具合。

React、このGWで完全に理解(要出典)できた気がした。コンポーネントの副作用を表現するuseEffectで、第2引数に空配列を受け取った時の挙動とか、コンポーネントの状態を扱うuseStateの使い方とか、理解が進んだ。業務でいよいよ必要になる場面が出てきたので楽しみである。

TARO

岡本太郎美術館は良かった。作品を見て個別に感じたことなど、細かいことは置いとく。自分の生き方について、この道を選んでよかったのかと思い悩むことがあるが、それを肯定するような言葉に触れた。

岡本太郎は太陽の塔を代表とするパブリックアートの巨匠・芸術家というイメージがあるが、彼は油絵作家であり陶芸家でもあり文筆家でもあり歴史民俗研究家でもありテレビタレントでもあった。彼には肩書がありすぎて、結局あなたは何なんですかと問われたときに、肩書を据える意味が分からないけど強いて言うなら人間かなと答えた。彼は、やらずにはいられないことはなんでもやっていた。

自分はそこまで複雑な活動をしているわけではないけどITエンジニアの世界に飛び込んで苦労しておりもっとほかの選択肢をとればよかったかなと思ってしまうことがある。ただ僕はこの道を選んだことに後悔をしているわけではないからもっと頑張ろうと思えた。

業の肯定

藤子・F・不二雄の作業部屋を垣間見た。古今亭志ん生のカセットが大量に積まれていた。納得した。

落語のフィルターを通していなくても、落語好きな人は見たらだいたい分かる。

たしかに、ドラえもんって落語だなと思った。ドラえもんという作品がです。のび太は藤子・F・不二雄が自身を投影したキャラらしく、勉強もスポーツもイマイチ、どじで間抜けで、明日頑張るわと言っても明日になったらやらなくなってる、みたいなダメな人間。そんな人間でも他の存在の影響を受けるなどして希望をもって生き続けていける。まさしく立川談志が言うところの業の肯定だと思う。

お子さん連れのファミリー層に混じって独身男性がギャラリーを眺め、そんなことを思いながら薄ら涙を浮かべておりました。

五月病にならないか心配。

あと2週間でようやっとNURO光が開通できる見込みである。念願の固定回線。固定回線が来たら心置きなくリモートワークできるしオンラインゲームできるし動画再生できるし待ちきれない。

いまのところ仕事の方はボチボチという感じで、アルバイト時代からの継続なので、そのままの流れで違和感なくやれている気がしている。

やはりメンタリングの力は偉大だなと感じていて、常に対話する相手がいることでモチベーションが保たれていてITエンジニアとしての自覚が日に日に強くなっていると感じる。

これが少数スタートアップでサポートしてくれるメンバーがいないとなると、自分の場合は全くダメだなという気がする。

ありがたいなぁ…と感じている。これがありがたく感じなくなったら危険信号だな。