仕事をする上で国語力が大事みたいな話があると思います。確かに大事ですね。日本語の作文技術とか論理トレーニングとかあって大人の学び直しとかで読まれているように見受けます。 仕事をしだして何年か経ちますが国語力(読む力、書く力)で苦労したことがあまりなく、昔からの貯金で生きてる感覚があります。 学生時代は国語はどちらかというと得意科目でした。
自分の国語力を支えたものがなんなのかを振り返ってみたいと思います。
国語力とは
国語力という言葉の解像度を上げると、以下に大別できると思います。
- 客観的読解力
- 文章構成能力
簡単に言うと読む力と書く力ですね。
これらの力をどのように伸ばしてきたかを振り返ります。
公文式
幼稚園から小6まで公文に行っておりました。小学校入学前から先取りで国語算数英語をやっていました。 特に国語、中でも作文能力が鍛えられたのか、よく学校の先生には褒められていた気がします。
野球の本
ませた小学生だとミステリー小説とか読んでたりしますが、私が一番読んでいたのは野球の本です。
伝記はイチロー、松井、清原、高橋由伸、城島、金本、マグワイア、サミーソーサ、ベーブルースなどなど読んでました。王さん長嶋さん野村さんの本も読んでたかな。掛布さんの本も図書館にあった気がする。
伝記以外でも選手名鑑を読み込んだり、月刊誌(Number、月刊タイガースや月刊ホークスなどの球団発行誌、野球太郎)やらムック本などを小学生3年生くらいからガッツリ読み込んでいました。
野球はプレイヤーでもありましたが、野球を通して活字にも触れていました。
デメリットは野球に偏った人間になることです。学校でもことあるごとに野球の話をするので周りには若干煙たがられていた気がします。 社会人となって東京に出てきてからも「東京の人って、全然野球興味ないんだな」とショックを受けました。最初の職場では野球の話をできる人はいませんでした。
駿台
これが一番デカいです。駿台で受けていた国語、特に現代文の授業で今に生きる力を身につけたと自認しています。
現代文で中野先生・池上先生というお二人の先生がいて、両者から学んだものが大きいです。
お二人の授業を通じて評論や小説を読むにあたって、文章をロジカル・システマチックに読み、解答する訓練ができました。
中野先生は「現代文 読解の基礎講義」という本を出版されていて、エッセンスはここに載っています。
池上先生もセンター現代文の黄色本を出版されていました。私の受験生時代は黄色本だけ出版されていましたが、他にも出版されているみたいです。
センター試験・国公立二次・私大問わず、どの形式の問題にも対応できる基礎力をつけました。
卒論
大学の卒論でも文章構成力を鍛えたかなと思います。ポートフォリオ理論に関して論文を書いたのですが、論文の中では仮説の立説、検証、反証をPythonを用いたシミュレーションを通じて行いました。論理的・科学的な文章を書く、という面においては理科系の作文技術を参考にしていました。
理科系の作文技術を通じては特に「事実と解釈を分ける」ということを学び取りました。
ソフトウェアエンジニアリングでもこれは重要です。そこにあるコードやアクセスログがあり、そこに書いてあることは事実です。時系列に沿って起こっている現象を表出させる、これも事実の明晰化です。そこにある事実から「行動履歴からして、ユーザはこう考えていた」と捉えるのは解釈です。
UIを考える上でも「絶対このコンポーネントはここに配置した方がいい」これだけだと解釈・意見ですね。
「なぜならABテストにおいてXに配置した時のクリック率がYに配置した場合に比べて~%高いから」これは客観的な事実ですね。
という感じで、普段の仕事でもめちゃくちゃ重要だと思っています。他者と働く上で、事実と解釈の境目がない議論が生まれると軋轢が生じてスムーズにことが進まないことがよくあるでしょう。
アプリ開発においては意見が重要視される場面もあるし、事実ベースで仕事するのもどうかとは思うこともありますが。
最後に
これを書いてどうなるんだという感じですが、とりあえず書いてみました。
昨日職場で同僚と言語化が下手な人は5つのタイプに分けられるというすてぃおさんのnoteの話をしていて「あー自分は構造化が苦手だわー」とかなんとか話してて、国語力って快適に生きていく上で必須だよなと思ったり、教育機会を与えてくれた親に感謝だなと思ったりするなどしました。駄文失礼。